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Online Exhibition

Dear Art
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Ed.3 What we love

June 16,2021

展示会に寄せて

日ごとに輝きを増す太陽と風にそよぐ草木が爽やかなこの季節、皆様いかがお過ごしでしょうか?

今年こそはと思っていたお花見や、ゴールデンウィークの小旅行など、一年で最も過ごしやすい季節のお出かけが、長引く緊張状態と相次ぐ緊急事態宣言の延長で、またもふいになってしまったという人も多いのではないでしょうか。

旅や人との交流を通して、美しい景色や新しい友といった心惹かれる存在と出会うことは、
時に、人生や価値観を大きく変化させてくれる大事なきっかけでした。
そんな変化のチャンスが減って、流れから取り残されたような停滞感は、
家の中をどんなに快適にしても埋められない穴のようです。

けれども、そうした日々はかえって私たちの心を鋭敏にさせ、好きなもの、好きな人、好きな場所、すきなこと、色々な形の「好き」を、日々の端々から見出し、見直すことも増えたのではないでしょうか。

アートの世界でも作品との出会いの場は少なからず減ってしまいましたが、だからこそ、向こうから目や体の前に飛び込んできてこちらの心のあり方を変えてくれるような力強い作品が本当にたくさんあることを、かえって実感する日々です。

絶対に表現したいこと、譲れないこだわり、そして飛び抜けて好きだと言う気持ち。
いわば、「執着」や「偏愛」に近いその想いが、作品のモチーフや制作方法、作品のあり方そのものに現れ、それらに込められた作家の鮮やかな思いが、私たちの心を揺り動かします。

今年の初頭、各大学の卒業展覧会で拝見した若手アーティストの皆さんのフレッシュな作品からは、その熱意の純粋さがひしひしと伝わってくるようで、まるで暑い夏に駆け抜ける涼やかな風のような力を感じました。

今回はそんな若手アーティストの作品を、アーティストのリアルな言葉とともにご紹介いたします。

Artist 01
藤本 純輝
Atsuki Fujimoto

藤本は、葉や花などのモチーフを色彩や形態などの特徴をもとに極端に単純化し、筆を重ねていくことで、葉を茂らせる木や群生する花々といった景色を浮かび上がらせます。
初めて藤本の作品を見た時驚いたのは、そこに、確かな「触感」があったことです。
基本的にこうした絵画にはアーティスト以外の手が触れることは許されませんが、藤本の作品は、そこに描かれるものが、単に色や形だけでなく使用する素材の持つ性質によっても大変繊細に表されており、素材として用いられた目の荒い麻布や、質感まで注意深くコントロールされた絵の具によって描き出された世界を前にすると、目を通した触感とでも言うような、生々しいリアリテイを感じます。
作家が色や形を単純化したことで削いでいった「リアル」と、素材や技法によって新たに加えられた「リアル」が相互に作用し、現実とは全く異なる、新しい景色が生まれるような、不思議な瞬間が、そこにはありました。

「私は制作する際に、画面のサイズや質感を注意深く観察し、この画面はどういったものを求めているのかを探ります。そして、画面にとって必要な位置に、必要な大きさ、色、濃度で丁寧に描いていきます。一筆絵具をのせると、連鎖的に次に必要な箇所が生まれ、また注意深く観察しては絵具を置いていきます。このように、画面やモチーフと繊細に向き合い、選択、配置を繰り返すことで私の絵画は成り立っています。」
そう語る藤本は、神社や植物を愛し、自然信仰的な感覚……「私が生み出すというよりは、それぞれが持つ固有の性質を引き出すような、そのものにまかせるような感覚」を大事にしていると言います。
何かをねじ曲げて居場所を作るのではなく、あるべき場所、あるべきものを見極めて配するというこだわりが芯に通った作品は、どこか背筋を伸ばしてくれるような心地よい緊張感を感じさせてくれるようです。

Artist 02
松岡 柚歩
Yuzuho Matsuoka

松岡は、キャンバスの上にカラフルで細かいパターンを描き、その上に、絵具でできた抽象的な形の膜を重ねて置いた作品を制作しています。一見すると平面的でシンプルですが、自分で作った絵具を何層にも流し込んだり刷り込んだりして描いていると言う作品は、近づいてみると、パターンとその上の抽象的な形それぞれが個別に層を成し、下にあるものが透けて見えたり見えなかったりと、重層的な構造をつくり上げていることがわかります。
松岡は、パターンの層は2つの側面を持ち合わせていると言います。絵具で形作られた絵そのものであるという面と、キャンバスと抽象的な絵具の膜の間に挟まることで生まれた、新しい支持体としての面です。
そのどちらとも規定されていない以上、キャンバスを支持体として考えるか、パターンを支持体として考えるかは、鑑賞者の自由です。また、そこに載せられた絵具の膜も抽象的であることから、それが何の上に描かれた何なのか、ということも、アーティストや作品に規定されることなく、鑑賞者に委ねられています。
初めて作品を見たとき、テーブルクロスの敷かれた食卓に暖かい目玉焼きがあるように見えて、お腹が空いてしまったことを思い出します。

アートを鑑賞するとき、その作品から何を受け取るかは、概ね鑑賞者の自由と言えますが、松岡の作品ではその作品の構造の捉え方もが、鑑賞者に解放されていると言えるのかもしれません。
柄と絵画、絵具と柄……その間にあった壁が解されて、その隙間から新しい景色が見えるような不思議な感覚は、絵画とは何かということを深く問い続けてきた松岡の作品の大きな魅力ではないでしょうか。

Artist 03
南谷 理加
Rika Minamiya

南谷の作品を初めてみたのは、多摩美術大学の卒業展覧会でした。
ふと目に入った作品には、犬や本、花など、とても具体的で身近なモチーフが描かれていて、まずその穏やかな印象に惹かれて立ち止まりました。しかしよく見ると、その犬は見知らぬ場所で寛いでおり、うっすらと透けています。開いて置かれている本の両ページの中身は、手持ち無沙汰に描かれた落書きのようにも、雑誌や写真集の1ページのようにも見え、どこかチグハグな印象を受けます。何かが少しだけ、現実からずれている……そんな気がするのです。
このリアリティと違和感の間を漂う感覚はまるで、誰かの夢の中をそっと覗いてみているかのようで、眺めていると、離れがたい夢から徐々に目覚めていく時の、心地よい名残惜しさのようなものが体を満たしていくのでした。

自身の中にあるイメージの断片を形象化して描いている、という南谷は、「こだわらないことがこだわりです」と言います。何かにこだわらないからこそ、空想と現実の間を泳いで集めた夢のかけらのような作品を、生み出すことができるのでしょうか。
作品自体のシンプルな構造も、人の意識に潜り込みやすい要素のように感じられます。モチーフ、マチエール、色、全てを程よい距離におく卓越したバランス感覚が、極めて具体的な描写にも関わらず、なんとも言えない浮遊感を生んでいるのかもしれません。
ひとり部屋で考えに行き詰まった時など、少しだけ現実から離れ、無意識の世界に安らぐことを許してくれるような作品をぜひご覧ください。

Untitled#53 / 2020 / Oil on canvas
Not For Sale 個人蔵
Rika Minamiya 南谷 理加
※本作品は、サイト上でのお取り扱いがございません。

Artist 04
那須 佐和子
Sawako Nasu

絵画とは何か。那須は作品を通して、鑑賞者である私たちに対してまっすぐに問いを投げかけます。
キャンバスの際、額の際、画面内の水平線や地平線。那須の作品は、絵画に存在する様々な区切りを本来の位置からあえてずらすことで、絵の「終わり」や「在りか」を曖昧にします。絵画と私たちを隔てていたもの……絵画を押さえつけていたものが浮き上がることで、そこに描かれている景色は、まるで現実と溶け合って拡張していくかのように感じられます。その開放感と没入感の中で、私たちが絵画を観るとき、物理的にも意識的にも、あまりに多くの枠を持って想像力を抑制していたことにふと気づかされるのです。

また、写実的に描かれた景色が現実の空間と地続きになることで、景色は否応なしに現実世界のリアリティの反発にさらされます。絵画の枠を超えて現実に溶け込んだ景色が、それでも世界から浮いていく様子は、見えないけれど確かに存在する、絵画の本当の際の存在を、おぼろげながら感じさせてくれるようです。

「絵を描くのが作業のようにならないように気を付けています。ゴールが見えないまま進めるのが、自分にとってのこだわりです。」自分の視野に枠を設けず、絵画と私たちの鑑賞体験の限界を軽々と広げていく那須の試みは、今後どのような景色を私たちに見せてくれるのでしょうか。

Artist 05
須田 日菜子
Hinako Suda

個展で須田の作品を初めて見た時、まず、その画面から放たれる力強いエネルギーに圧倒されたことを覚えています。時に盛り上がり、時に擦れ、駆け抜ける風のような力強い筆跡の中で描かれているのは、のびのびと体を動かしたり、どこかに駆けて行く人びとの身体です。
美術の世界において、個人の思想や身体を取り上げて描くことが一般化した近代以降、多くのアーティストが身体というモチーフを取り上げてきました。そんな中、須田の描く身体は、かつてアンリ・マティスが色やリズムに着目して描いた装飾的な身体や、ニキ・ド・サンファルやキース・ヘリングによって描かれたシンプルな線でこそ表されるパワフルな身体と通う要素を持ちながらも、さらに新しい身体表現のあり方を生み出そうとしているように感じます。
「普段の制作を振り返ると、今描いているものが絵になっているかどうかの一点だけを気にしているような気がします。ファニーなモチーフやmoveな画面は結果としてそうなったという印象です。あとは、筆や刷毛の跡を楽しんで絵を描いています。」その言葉の通り、須田が描き出しているものは、単なる身体の絵ではなく、現実の身体に宿るエネルギーを起点として、そのエネルギーを、絵を描いている身体の心地よさと共に筆致の中に溶け込ませ、絵画上に残したものなのではないでしょうか。

須田の作品を前にした時、アーティストの身体と、描かれている人の身体、そしてそれを見ている私たちの身体がつながりあい、じっとして過ごすことに慣れてしまった体の奥で燻っていた力が湧いてくるような気持ちとなったことを思い出します。

Artist 06
望月 ももか
Momoka Mochizuki

六本木の新国立美術館で開催された東京五美術大学連合卒業・修了制作展を訪れていた時、エリアの出口付近で望月の作品を見つけました。1メートルを超える大きなキャンバスいっぱいに広がる絵具はモヤのように画面を埋め尽くし、何が描かれているともわからないながら、展示空間中にまでその世界観が漏れ出るようで、思わず足を止めたのを覚えています。

望月は自身の作品の中で、ものや人と人の状況や関係性を描いていると言います。せめぎ合いながらも、どこか溶け合うように配置された絵具は、絶妙な色のニュアンスによって、滞留し沈殿する流れではなく、流動的でリアルタイムなもののように感じられます。

「色にはとくに注力しています。私は不安定な状況や関係性など、目に見えない、形のないものに惹かれています。それらの輪郭を探る上で、明確な形や彩度の高い色は画面上の情報として強過ぎ、輪郭を見えなくしてしまうように思います。今後絵を描く上で、その考えが変わり今まで使わなかったような色を使うこともあるかもしれませんが、色のニュアンスが私の絵の印象を大きく左右していることは確かです。」目に見えない関係性を描いているというアーティストは多いですが、望月の作品に見られる、絶えず揺れ動いているような動的な印象は、空気を色に置き換えるという手法を非常に繊細に扱う望月独自の魅力ではないでしょうか。

Artist 07
深田 桃子
Momoko Fukada

東京五美術大学連合卒業・修了制作展に並んだ若手アーティスト達の作品は、どれもエネルギーに満ち、来場者たちに色とりどりの世界を見せてくれていました。そんな中、モノクロームの表現で独特の輝きを放ち目を引いたのが、深田の作品です。
まず感じるのは、影絵や切り絵のような、太くはっきりとしたラインによって醸し出される、潔くて力強い印象です。しかし滑らかで心地よい線を辿っているうちに、描かれている人物が節目がちな表情で静的な姿勢をとっており、どこかアンニュイな雰囲気を醸し出していることに気付かされます。そのアンバランスな取り合わせは、人がそれぞれ抱えている内面の繊細さと、それを抱えて生きていくための凛とした覚悟が同居した状態のようにも感じられます。

深田は、「弱いものが弱いもののまま、確かにそこに存在していることを肯定したい」と語ります。
「弱いものを庇護するのではなく、強く装うのでもなく、そのままそこにあって良いと伝えたい。作品が装飾的になりすぎると、その意思が揺らいでしまう。」
多様な作品群の中で、繊細な内面を隠すことなく、堂々と佇むように飾られていた作品たちのことを思い返すと、そんな深田の想いの深さが感じられるような気がします。人体にフォーカスした作品では、描かれている黒い線が身体のどの部分を描いているのか分からないような箇所もあり、人の心と体のあり方を規定せずありのままを肯定したいという深田の想いを一層感じました。

Artist 08
八木 恵梨
Eri Yagi

八木は、妄想や幻と言った個人的・主観的なイメージを作品に表し、他人と共有することに興味があり、本来他人と共有することのできない物事を、それでも共有しようという試みの中から、全く新しいイメージが生まれてくると考えていると言います。
確かに、一見すると童話のワンシーンを描き出したような、ストーリー性を感じる幻想的なあしらいを持ちながらも、モチーフは非常にシンプルで無駄がなく、そのものが持つ最低限の要素を克明に描き出し、画面の中に配置されているような印象があります。モチーフに対する八木の個人的なストーリーと、鑑賞者それぞれの解釈が出会う場所として、作品は綿密に形作られているようです。

「私は科学のスケッチや、説明書などによく用いられている「テクニカルイラストレーション」といった技法に影響を受けています。なので、余計な線や何も説明していない線は極力排除するようにしています。それは「個人的な妄想や幻」といった"曖昧なイメージ"を、"クリアなイメージ"にしていくことを通じて自分の思考を整理し、さらに深めるためでもあります。」
八木はさらに、ドローイングだけでなく音声やインスタレーションなども用いて個人的なイメージを伝えようと試みます。それでも生まれてしまう齟齬やずれこそが、アーティストと鑑賞者の揺るぎない個性をかえって際立たせるのかもしれません。

いかがでしたでしょうか。
気になるアーティストや、お気に召した作品がございましたら、ぜひお気軽にお問い合わせください。
掲載されている作品以外にも、ご案内できる作品がある場合がございます。

今回ご紹介したアーティストが、将来世界的に活躍するかもしれません。
これからの活躍に、ぜひご注目ください。

Dear Artは、今後も様々な企画を通して、魅力的なアーティストをご紹介してまいります。

キュレーター:小澤茜、陳 知衡、小柴明奈